習慣少年ダイアリー

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鬼滅の刃の人気について考えてみた

久しぶりの投稿です。現在noteも更新してるのですが、マンガ関係の記事はこっちにも投稿していきます。


今、大人気の[鬼滅の刃]、マンガをあまり読まない人も名前は聞いたことがあると思う。子供達にも大流行で、コミックス売上ランキングをほとんど独占してるらしい。

何故こんなに人気があるのかを、僕なりに考えてみた。

僕の体感ですが、[鬼滅の刃]連載当初はそんなにめちゃめちゃ人気だった記憶は無い。第1話から面白いのだけど、最初っからこんなに爆発的人気があったわけじゃなかったと思う。

[鬼滅の刃]はかなり、少年マンガの王道の流れを組んでいると思う。

家族を殺され、妹を助ける為、ラスボスを倒す。

ストーリー自体は至ってシンプルでゴールが明確だ。

修行シーンも多く、そして何より“数多くある必殺技の説明がほとんど無い”。技名と画面の格好良さで「強い技なんだ」と納得させている。これは[聖闘士星矢]に強く見られた特徴で、「俺の能力は~~~~~で~~~を~~~~する」みたいな説明が全然無い。でもよく考えたら、バトル中に技の説明を長々する方が不自然と言えば不自然な気もする。

[鬼滅の刃]が一番大事にしてるのは、“台詞の滑らかさ”じゃないかなと思っている。

必要ない説明は省き、しかしキャラクター達の心の声はだだ漏れさせる。

主人公の炭治朗でさえ、戦闘中に「キツい」とかネガティブな言葉が漏れまくる。まあ、炭治朗はそれでも「俺には才能がない」「俺には頑張る事しか出来ない」と言いながら決して諦めない姿が格好良いのだけど。

そう、炭治朗はとても良いキャラクター。頑張るし、誰より優しい。倒した敵にも手を伸ばしちゃうほど。

この優しさは本当にどのマンガのキャラより優しいかもしれない。敵の兄妹が喧嘩しているのを「本当はそんなこと思ってないんだよ」と悲しそうにいさめるのは炭治朗だけじゃないだろうか。

倒さなきゃいけない存在をちゃんと倒した上で手を差し伸べる。その優しさも作品の魅力。

敵も初めから敵だったわけではなく、生い立ちがあり不運が重なり“敵”になってしまったのだ。

[鬼滅の刃]では、敵の生い立ちが描かれるのは、倒した後が多い。それは、“戦ってる間は読者を戦闘シーンに集中させる為”じゃないかと思っている。敵の生い立ちを先に描いてしまうと、敵に同情心が芽生え、バトルに集中出来なくなるが、戦闘中は悪として描き切る事で迫力とスピード感のあるバトルに集中して楽しむことが出来る。ごちゃごちゃしたことを考えなくていいのだ。それはアニメ映えにも一役買っていると思う。

アーティストである椎名林檎が、ウルフルズの音楽を「優しいし、易しい」と答えていたが、まさに[鬼滅の刃]も「優しくて、易しい」作品だと思う。

あとはやっぱり推しのキャラクターの退場シーンの格好良さと衝撃か。[鬼滅の刃]では、バスバス人がしんでいく。その為一定の緊張感が途切れない。○○さんの死に様はやっぱり衝撃だった。

そんでもってコメディパートも面白い。そう、ようは結局面白いのだ。

特徴的な台詞回し

真似したくなる派手な必殺技とキャラの格好良さ

ごちゃごちゃを省いた易しさ

これらの要素と圧倒的な面白さで、[鬼滅の刃]は大人気になったんじゃないかなと僕は思う。